2015/01
洋風建築散歩 (完)君川 治


【産業遺産探訪  6】
 綱町三井クラブ
 旧岩崎邸
 古河庭園洋館





 迎賓館正面玄関



 慶応大学旧図書館













 日本銀行旧本店














 神奈川県立歴史博物館
 神社仏閣などの古い木造建築は、宮大工による修復工事を何度も実施して保存されている。これに対してレンガや石造り、鉄骨・鉄筋コンクリートの洋風建築は耐用年数が長いが、東京では関東大震災や太平洋戦争時の東京大空襲により多くの建物が破壊されてしまった。更には古い建物を大事にする習慣に乏しいのか、戦後に建替えのために壊された建物も多い。
 明治初期からわが国建築界をリードした優れた建築家の作品のうち、現存する建物を見ながら建築家を眺めてみる。


コンドル
 工部省工部大学校に招かれて日本の建築家を育てた英国人建築家コンドルは、工部大学校教授を辞めた後も日本に留まり、生涯を日本の洋風建築の発展に尽くしている。彼は民間設計事務所を開設し、三菱の顧問を務めて岩崎家の私邸、別邸や丸の内のビル群の設計を行っている。
 岩崎家高輪本邸開東閣は、現在は三菱グループの迎賓館として使用されている。三井財閥の綱町三井クラブも三井グループの迎賓館として使用されている。上野の旧岩崎久弥邸と北区西ヶ原の古河邸は共に東京都に寄贈されて、一般公開されている。
 コンドルは工部大学一期生の辰野金吾、曾禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎を始め多くの建築家を育てた。彼の多くの優れた建築作品を残しているが、有名な鹿鳴館については評価が分かれている。
三菱高輪開東閣


片山東熊
 片山東熊は長州藩士の出であり、維新政府を牛耳る長州出身者に知己が多くいた。彼は卒業するとすぐ外務省に入って在外公館の設計を行い、ヨーロッパの建築を調査した。彼の得意としたのは宮廷建築で、皇族・華族の邸宅を多く設計し、京都国立博物館や奈良国立博物館を設計しているが、赤坂離宮が最高傑作であろう。現在も国の迎賓館として使用しているが、定期的に希望者の参観が許されている。
 日本の洋風建築として非常に豪華であり、玄関側も庭園側も大きな広場にも係わらず1枚の写真に納まりきらないほど大きい。
 迎賓館・中庭


曾禰達蔵
 同じく同期卒業の曾禰達蔵は辰野と同じく佐賀唐津藩の出身であり、藩主小笠原氏の側近の上級の藩士であった。彼は長州戦争で片山と一戦交えた相手方である。工部大学校ではコンドルに可愛いがられ評価されて、卒業後はコンドルの世話で三菱に入る。三菱1号館はコンドルの設計、2号館以降が曾禰の設計で、丸の内の赤レンガビジネス街が造られていった。しかし、戦後の高度成長期にこれらにビルは取り壊されてしまった。
 曾禰は三菱を退職後、後輩の中条精一郎と一緒に建築設計事務所を開設した。現在残っている建物には慶応大学図書館がある。ゴシック様式の赤レンガ造りである。


辰野金吾
 辰野金吾は唐津藩士の出身で、工部大学校建築家を首席で卒業してイギリスへ留学した。ロンドン大学や師コンドルを育てた設計事務所で理論と実務を学んで帰国し、工部大学校教授に就任した。その後、帝国大学工科大学教授、建築学会会長などを歴任して多くの後進を育成した。彼の建築作品は非常に多いが、良く知られているのは日本銀行本店、東京駅、大阪中央公会堂などがある。
 辰野金吾は唐津英語学校で高橋是清に学んだ。彼が日本銀行本店を設計した頃、高橋是清は浪人中で辰野の斡旋で日本銀行に採用され、その後、日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣を歴任した。
東京駅・修復前


妻木頼黄
 妻木頼黄は幕府旗本の出身で、維新後は静岡に住んでいた。実業で身を立てるため工部大学校に入学したが、中途退学してアメリカに留学してコーネル大学で建築学を学んだ。帰国して政府の臨時建設局に所属して3年間、ドイツに留学して建築事務所で設計実務を学んだ。
 妻木は大蔵省建設部で官庁営繕に辣腕を振るい、辰野金吾の強力なライバルであった。妻木の設計した建物も時代とともに建替えられてしまい、現存するのは神奈川県立歴史博物館(元横浜正金銀行)がある。しかし彼の設計で一番親しまれているのは日本橋である。
 丸の内のビル街が再び立替ラッシュとなり、丸ビル、新丸ビル、明治生命ビルなどが高層ビルに建て替えられた。歴史的建造物として重要文化財に指定されている明治生命館(設計岡田信一郎)や銀行会館(設計松井貴太郎)も、新規の高層ビルの付属物のように残されている。
  
銀行会館                         明治生命会館

博物館明治村
 明治の建物が次々と取り壊されるのを惜しんだ建築家谷口吉郎は、旧制四校の同級生の名鉄社長土川元夫(当時)と共に昭和40年に、博物館・明治村をつくった。
 3月の暖かな日に明治村の懐かしの建築を見て回った。どの建物を見ても印象に残る貴重な財産ばかりである。
 科学史上の貴重な財産の北里研究所本館がある。北里柴三郎はドイツのコッホ研究所に留学していたので、建物もドイツバロック風である。
 一般に良く知られている建物としてはアメリカ人建築家ライトの設計になる帝国ホテル玄関がある。左右対称で幾何学模様の石組が美しい。

参考文献 日本近代建築の歴史 村松貞次郎 NHK出版
     日本の「創造力」        NHK出版


君川 治
1937年生まれ。2003年に電機会社サラリーマンを卒業。技術士(電気・電子部門)




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